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■歓喜の歌(幻冬舎文庫) 解説より抜粋

フリークスの恋 
素樹文生

 山川健一さんには何度かお会いしたことがある。
 飲みに連れて行ってもらったこともあるし、仕事場にお邪魔したこともある。仕事を頂いたこともあるし、「小説の書き方」について幾つかのヒントをもらったこともある。
 僕と同年代の作家の中には、同じような経験をした者がかなりいるようで、僕より先に山川さんに会って話をした人に「どんな人?」と訊ねてみると、「アニキみたいだよ」という声が多かった。「何でも相談に乗ってくれるよ。でも厳しいとこは厳しいよ。TVゲームの話が好きだよ。エネルギッシュで、時に過剰で、酒飲んで政治経済の話すると止らないかなあ。もちろんバーボンだよ。とにかく多方面に詳しくてさあ、何でも教えてくれるし、出し惜しみがないね。そして、小説の力を強く信じて疑わない人」
 おそらくは読者(特に若い男性)の中にも、文章を通じて同じような印象を抱いている方がたくさんいるだろうと思うが、実に、そうなのだ。僕には、「山川健一」という作家の存在そのものが、実体も文体も含めて、誰かに何かを「教える」ためにこの同時代の地上に存在してきたように思えてならない時がある。
 しかしそれは教師のように教え諭すわけではない。予備校の講師のように効率的に教弁するわけではない。神父や、指導者や、ましてや「神」のように教え賜るわけではない。参考書でもない。上司でもない。親父でもない。言うなれば、「アニキ」。
 僕にも本当の兄弟がいるのでわかる。アニキの話には耳を傾けておいたほうがいい。
 なぜなら「兄」というものは、遺伝子的にも極めて似通った存在で、その、生まれ持った「血」が引き寄せてくる数々の問題点や悩みを、自分より長い経験の中で試行錯誤のうえ処理してきた実績があるからだ。
「兄」は、あなたと同種の骨格と筋肉を持ち、同種の体の動かし方をしていて、その上で同じ悩みを克服してきた経験があり、その「教え」は(いささか悔しくても)必ずしっくりくる。
 そのような印象が、山川さんに対して僕の中には、ある。
 その点、山川健一という作家は、同じ「血」を持つ人間を探りあてる嗅覚の非常に優れた人間であると言えるし、読者側からしてみても、その「しっくりさ」が彼の本を読み漁る基盤になっているのではないかと思う。
「しっくり」ときて、「がっつり」である。
 彼の読者とのやり取りを見ていてもわかる。それは信頼された絆だ。慕うことのできる人物の精神の結晶だからこそ、その小説の世界にも「どっぷり」とハマり込んでゆけるし、それが彼の作品の強い吸引力になっていることは間違いない。
 山川健一という作家はその意味で、読者を意識的に選別し、また読者からも「血が通うかどうか」で選別されるタイプの作家だと言えるだろう。
 ロックンロールの血。オートバイ乗りの血。Macintoshの血。モチーフは時代ごとに移り変わってきたが、根底に貫かれているものは変化してはいない。
 作家、山川健一氏は一九七七年に、『鏡の中のガラスの船』という作品で群像新人賞優秀作受賞をしてデビューしたが(ちなみに七六年の新人賞は村上龍。七八年は中沢けい。七九年は村上春樹という方々である)、しかし本当のデビュー作は、それ以前の七三年、早稲田大学商学部時代に書かれた、『天使が浮かんでいた』という小説作品ではないかと、彼は述べている。
 この作品は、まずフランス文学研究会というサークルの会報誌に寄稿され、その後『早稲田キャンパス新聞』の新人賞で入選した。審査委員は秋山駿氏と五木寛之氏である。 
 あまりにも秀逸であり、かつ、本書を解説するにあたって興味深い要素を含んでいるので、ここに抜粋してみることにする。
 冒頭から。

 君には言っておこう。
 悪寒や、慄えや、そして痛覚を信頼してはならない。君は自分自身を垂直に、下降して行かねばならない。錯乱、渾沌、汚濁の名で呼ばれる〈現実〉を、もう一度抽象し、濾過し、沈黙を守らねばならない。
 優しい性器を見ろ。既に、衰弱した肉体の悦楽は〈存在〉と同義であることをやめようとはしない。
 君が男なら、彼女の性器に手を触れるのだ。君が女なら、両掌を胸で組み合わせて目を閉じるのだ。
 瞬時に〈隔たり〉を浮かび上がろうとする凝縮された衝動を覚えてはならない。悦楽とは錯覚であり、君にも俺にも汚らわしい肉の性器があるだけなのだから。
 ところでいったい、君はどれほどまでに裸であり得るのか? 君は怯えているか? 慄えているか? 寒さを耐えているか? 背後に閉じた扉の向こう側に、何を置き去りにしてきたのか? 人間はどれほどまでに〈己の神〉たり得るのだろうか……?
 俺の言葉が弛緩した都市の空気を伝わり、開け放たれた窓を通って君の部屋 で響く。それにしても、何て空虚な響きだろう。響きさえしないじゃないか。
              (山川健一作品集『Angels』・メディアパル刊より抜粋)

 これを書いたのが若干、十九歳。このカッコよさは何だ?
 しかもローリング・ストーンズに憧れるロックンロール少年だった彼は、すでにデビュー作、第一行目にして「教えて」くれている。その言葉は自分自身だけに向けられたものだけではなく、「君が女なら」という前提がある通り、最初から自分以外――限定された他者の核――にも狂おしいばかりに向けられているのである。(以下、略)
 ※全文は文庫本でお読みください。



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